平尾昌晃さんが2017年7月21日にお亡くなりになりました。
追悼の意味を込めて、平尾昌晃さんの経歴、功績を振り返りました。

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平尾昌晃さんの経歴や本名は?

平尾昌晃 死去

Wiki風プロフィール

平尾 昌晃 ひらお まさあき
1937年(昭和12年)12月24日 生まれ

日本の作曲家、歌手
社団法人日本作曲家協会・常務理事
社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)理事
NHK紅白歌合戦「蛍の光」三代目指揮者。

出生名は平尾勇。
幼少時にたびたび改名し、デビュー初期の芸名である「昌章」を経て、
現在は芸名の通り平尾昌晃を本名としている。
東京市の牛込(現東京都新宿区)生まれ
敗戦後、神奈川県湘南に移住し、湘南学園で小中学時代を送る。

学歴:慶應義塾高等学校中退

出典:Wikipedia

私は、小学校の時、
小柳ルミ子さんアグネス・チャンさんが全盛期で
毎日、口ずさんでいましたね。

また、
私の父は大変な音痴でしたが、
小柳ルミ子の
「私の城下町」のシングルを買ってきて
毎日、歌って練習していました。

「瀬戸の花嫁」も大好きで
家族が嫌がるのもかまわずよく
歌っていましたっけ。

そのころ、
私の家のすみずみまで浸透していた
平尾昌晃さんの曲の数々、

その頃から、
昭和歌謡の歴史に
大きな足跡を残されていたのですね。

生い立ち

平尾昌晃さんのおじいさん
化粧品業を営む平尾聚泉さんといいます。
クラブ化粧品と人気を二分したレート化粧料という大ヒット商品を手掛けています。

クラシックの作曲家・国立音楽大学教授の平尾貴四男は伯父。
小学3年生のとき、自宅に来ていた将校から貰ったジャズのLPを聴き
衝撃を覚えたんだそうです。

なるほど……、
伯父さんが音楽家ということは
音楽に対する造詣の深い家系の流れが
あったのでしょうか。

茅ケ崎に住み、ジャズの教室に通い、
慶應義塾高等学校中退後、ウエスタンの人気バンド
『チャック・ワゴン・ボーイズ』に入りました。

渡辺プロとの劇的出会い

1957年、ジャズ喫茶に出演していた際、
ステージを見た渡辺プロの渡辺美佐と映画監督井上梅次に見初められ、
同年に公開された石原裕次郎主演の『嵐を呼ぶ男』に出演します。

1958年1月、ソロ・デビュー。
その後、ミッキー・カーチス、山下敬二郎(後にこの2人は渡辺プロに所属する)と
「ロカビリー三人男」として「日劇ウエスタンカーニバル」等で爆発的な大人気を博した。

1958年には、キングレコードからオリジナルナンバーである「星は何でも知っている」、
翌年には「ミヨチャン」を発表し、
2曲共に100万枚を売り上げる大ヒットとなった。

さすがにデビューの時は私は生まれてないので、
俳優としても活躍されてたのには驚きました。

歌って、演じられて、作曲もできて‥…。
本当にオールマイティな方だったんですね。

ロカビリーブームが去った後

ロカビリーブームが去った1965年頃、
北海道からじわじわ火がつき始めた「おもいで」で
再ブレイクを果たします。

作曲家として「霧の摩周湖」「恋」、じゅん&ネネ「愛するってこわい」、
梓みちよに提供した「渚のセニョリーナ」などがヒットしました。

ロカビリーブームの時代の頃を懐かしく
思い出される方もいるんでしょうね。

みなさんがリアルタイムに知っている
平尾昌晃さんって
どんな感じでしたか?

結核を発病

1968年、結核を患い、長期間入院療養、肋骨を6本取り除く大手術を受けました。

1年ほどで退院しましたが、

ご本人は、この療養期間が作曲家としての活動の原点となっているそうです。

天才作曲家が1年間入院すると何を思うんでしょうね。

私の亡くなった父も、結核で7年間療養生活をしたんですけど、
事あるごとにその頃のことを話していました。

父の場合は世間に遅れをとるまいと
広辞苑を毎日読み漁っていたそうですけど。

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歌謡曲 量産時代へ!

そうです!!

この時期が私の幼稚園から
小学生の頃と重なるわけですね。

綺羅星のごとき大ヒット曲を次々と
生み出します。

歌手のお名前で言えば、
五木ひろし、小柳ルミ子、アグネス・チャン……。
作詞家の山口洋子さんとのコンビは
ゴールデンコンビとして
不滅のものとなりました。

1972年には、小柳ルミ子さんに提供した
「瀬戸の花嫁」で第3回日本歌謡大賞

1973年には、五木ひろしさんに提供した「夜空」で
第15回日本レコード大賞を受賞。

作詞、作曲、歌手それぞれが三つ巴で
輝いていた名曲がこの頃、生まれたんですね。

音楽学校を設立

1974年「平尾昌晃音楽学校(現平尾昌晃ミュージックスクール=HMS)」を創立。
東京本校の他、札幌、所沢、茨城、名古屋、大阪、福岡、鹿児島にも地方校があり、
デビューバックアップもするようになります。

出身者には狩人、畑中葉子、川島なお美、石野真子、松田聖子、
川崎麻世、大沢逸美、森口博子、芳本美代子、笹峰愛、
倖田來未、後藤真希、西田あいなど。

また、アグネス・チャンのデビューの
きっかけを作ったのも
平尾昌晃さんだそうですね。

そうそう、布施明さん中条きよしさん
プロヂュースも忘れてはいけませんね。

私としては

懐かしいやら、驚くやら

あらためて、平尾昌晃さんの偉大さを
確認させていただきました。

平尾昌晃さんの結婚は?

平尾昌晃さんは、何回か結婚と離婚を繰り返しています。

一番最初に結婚されたのが、1972年。

女子大生のお相手とかなりな年の差婚。その頃、
平尾昌晃さんは34歳くらいだったそうですからね。

その後、子どもさんをもうけるも離婚されています。

1978年に再婚されました、

歌手の小沢深雪さんがお相手で

これまた年齢差は21歳。

やはり、離婚してしまいました。

年の差婚がうまくいかないのか、
性格が原因なのかわかりませんが、

平尾昌晃さんも大変なハンサムですから
モテたことは間違いないでしょうね。

でも、本当のところはわかりませんね。
夫婦のことは夫婦しかわかりませんから。

子どもさんはいるの?

二度目の奥様、小沢深雪さんとの間に息子さんが
2人いらっしゃいます。

1回目の結婚で子どもさんはお一人いますので
合計でお子さんは3人いるということですね。

3番目の息子さんは平尾勇気さんといいます。
歌手やタレントとして、バラエティ番組にも出演されていますね。

少し派手目の印象の
明るい方です。(^_-)-☆

平尾昌晃 子ども 平尾勇気
平尾勇気さん

まとめ

平尾昌晃さんという
偉大な作曲家がお亡くなりになりました。

私の心にも多くの方の心にも
彼の作曲した歌はずっとずっと残っていきます。

間違いありません。

彼の作曲した曲をすぐにでも聴いてみたくなりました。

最後になりましたが、
畑中葉子さんとの大ヒット曲
『カナダからの手紙』をどうぞ。

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